「意見が違うこと」と「認識が違うこと」

2020/11/24

「意見が違うこと」と「認識が違うこと」とでは全然意味が違ってくる。

ということについて今日は語ろうかな。

 

「意見が違うこと」はよくあることだと思っている。

人はみんな一緒ではないことが前提だし、だからこそ意見の違いは出て当たり前。

意見が違うことは、別に悪いことではない。

ただ「意見が違うこと」と「認識が違うこと」では意味が違う。

聞いただけだと、どういうこと?と思う人もいるかもしれない。

何か問題が起きるとする。

その問題に対して、じゃあどう改善しようかという時があるだろう。

その時に、その問題に対して視点が違っていたら、

意見が違う前に認識の違いが起きてしまう。

でもそのことに気付かなければ、意見が違うと思い込んでしまい、

それに対してそういうことではないよと言われると、

そもそもその人は認識の違いということに気付いていないから、

自分は否定されていると思ってしまう。

どれだけ擦り合わせをしても話をしても、認識の違いは起きてしまう。

だから「何か違うな…。」と思ったら、その場で確認をしないといけない。

確認をして認識の違いを合わせることも出来るけど、

中にはそれでも認識の違いを合わせることが出来ない時もある。

それは自我が強いからなのかなと思っている。

その自我がプラスに働いているのであれば良いのだが、

明らかに周りにとって良くは働いていない時は困ったものである。

私も1年前まではこうだったのかもしれないが…。

特にマネージメントする側がこうであっては、チームとして成り立たない。

同じ場所で、同じところを目指して前に進んでいようと、

その進む道はみんなバラバラである。

まっすぐ行く人もいれば、曲がりくねった道を行く人もいるだろう。

でもみんなが同じところを目指していれば、道は違って良いと思う。

でも、目指すところが違うことはアウトではなかろうか。

「あそこを目指せって言われ、役割を与えられたから、あそこを目指しています。」

ここに自分の意思はあるのだろうか?

みんな何を持って同じところを目指しているのか。

人から言われて目指すのであれば、道は開けないと思う。

自分の人生を決めるのは自分、今の自分を創ったのも自分であるように、

自分の意思が今の人生を自分を創っているのである。

自分の意思がないと道は開けない。

だから目指すところに向かって行けないから、認識の違いも起きてくる。

 

「意見が違うこと」と「認識が違うこと」は意味が違うということ。

上手く説明が出来ているか、伝わっているかはわからないが…。

問題が起きた時に、自分に「なんで?」と何度も問うてみて欲しい。

5回問うと答えが見つかってくるから。(と教えてもらったw、「5W1H」)

答えが見つかれば、それが「意見が違うこと」なのか、

「認識が違うこと」なのかがわかるはず。